前編は本家にあるのと一緒です。角川の鬱鬱な音楽観。
後編は二人の初エッチ。わりといちゃいちゃ。
そう言えばスラックスのままじゃ寝づらいだろうと思って、クローゼットをあさって余分のジャージを探した。それとタオルケット。自分もトイレを借りたいと言って戻ってきた冬木は部屋を見回して言う。
「えっと、どこで寝れば良いんですか?」
「ああ。その座卓をこっちへどけて、ベッドから布団降ろせば良いんじゃないかな。枕ないけど、勘弁な」
ベッド本体も充分にウレタンが効いている。本当は布団を敷かなくても良いのかも知れない。言われた通り座卓の足をたたんで廊下に追いやる冬木に言った。
「それとも一緒に寝るか?」
下らないジョークに冬木は真面目に睨みつけた。
「暑苦しいじゃないですか」
「そうだな……窓閉めなきゃだし、少しだけクーラ入れるか」
そういう問題じゃあとかなんとか、言っている冬木をよそに俺は窓を閉めて冷房のスイッチを押す。タイマをかけておこうと思ってもう二時近いのに気がついた。夜中でも蝉が鳴いているから時間の感覚が狂っている。二人がかりで布団を降ろして、ジャージを渡してやると冬木はありがとうございますと言って、着替えの最初に靴下を脱いだ。
なぜか、目の毒だな、と感じた。裸足くらい合宿中になん度も見ていたのに。
剥き出しのベッドに横になってタオルケットをかぶった。スラックスを履き替えて、上半身は下着姿の冬木が、電気消しますね、と言って壁に手を伸ばした。
電気が消えた瞬間、俺はスイッチを押した冬木の右手をつかんでいた。残光タイプの蛍光灯の、青白い光の中で冬木が驚いているのが見えた。構わず力任せに引いたら、バランスを失った冬木はされるがままに倒れてきた。嫌でも左手だけかばうのは本能。俺も避ける場所はなくて、もろに上からぶつかられる形になって、なにをやっているんだろうと自分でわけがわからなくなった。いや実際、わけがわからないことをしていた。
「ちょ、ちょっと、角川さん」
非難がましい声で俺を呼んで、倒れた冬木は起き上がろうとした。それを制して転がして、体の上下を入れ替えた。
「なんで、震えてんの」
ああそうか俺は冬木をからかいたいんだ、と思った。ワイダンと同じだ。酔って眠くて思考なんて支離滅裂で、ただちょっと自分が昂揚しているのはわかった。仲間を見つけたから。
遺伝子の研究に北海道へ行ってしまった女なんて正直なところどうでもよかった。
なんでそれがいま思い浮かぶのかわからないけれど。
冬木は震えていた。
おかしいくらい顫えていた。
「やめてください」
「なにを」
「なにって」
無防備に転がっていた左の手首を右手でぎゅっとつかんだ。途端に冬木は黙って固まる。短く削った爪の内側に固くてつるんとしたタコができている。弦を押さえる指。手首の動脈がどくどくと脈打っている。速い。マーチくらいのテンポ。九十六?
「こういうことされたことあるの、男に」
「あるわけないでしょう!」
反応が速かった。おや、と思った。
「なくてもわかるんだ。どういうことか」
冬木は目を逸らして唇を引き結んだ。右手に力を入れると堪えるように目を閉じた。左手の指を切り落としたら、こいつは死んでしまうんだと思った。冬木はバイオリンじゃなくちゃだめなのだ。俺はビオラでも良いと思えたから、左手が無くなれば右手で指揮を振るかも知れない。それもできなければ、歌を歌うかも。
足の間に膝を割り込ませて、跨いだほうの足を自分の足に搦めて押さえながら、もう一方の腿を膝で押す。ベッドに爪を立てる音がする。手首を離した。握った痕が残っているように見えた。ゆっくりと体勢を落として、冬木の耳許に口を寄せた。
「冗談だよ」
冬木は動かない。幽かな声で尋いた。
「冗談……?」
「期待したか?」
冬木の両手が肩を押した。素直に起き上がって前髪を払う。手を突いて身を起こした冬木は、強い目で睨みつけた。俺は笑った。
「怒るなよ」
「趣味悪いですよ」
「そうだな」
まだ足は交互になっている。俺は冬木の腿に座っていて、近いところに冬木の顔がある。謝りながら俺はまだ陽気で、冬木は不満げにまつげを伏せた。
「冗談じゃなかったら、お前どうする?」
ふいにそんな科白が浮かぶ。浮かんだ端から漏れていく。冬木は眉を寄せて上目遣いにこちらを睨む。
「なんでそんなこと」
「好奇心」
険しかった眉が、一瞬情けなく歪んで。
「知ってます? キュアリオシティ・キルド・ザ・キャット」
そんな言葉を吐くのが酷く不思議だった。気付くと喉が渇いている。アルコールのせいか、それとも。
右手で顎に触れた。叛らわない。再び目を閉じた顔に近づいた。
パンドラの匣。全部見るまで。
「さっきは嫌がってたのに」
軽く触れるだけのキスのあと俺は言った。
「恐かったから」
「いまは?」
「怖いけど、少し違う」
「どんなふうに?」
「……無理やりじゃ、ないから」
もう一度唇を触れ合わせた。今度は少しだけ乱暴に、奥まで。冬木はすぐに応じて、そのまま二人でベッドに倒れ込んだ。浅く深くキスを繰り返しながら冬木のタンクトップをまくり上げる。女とは違う固い胸に掌をはわせて、両の拇指で乳首を押さえつけた。ぴくり、と肩が強張る。指先に転がしてやると俺の背をつかんでいた指に力がはいった。
「ここ、感じる?」
尋ねると青い瞳が戸惑ったように逸れた。俺は少し笑うと耳朶の付け根に口づけて強く吸った。幽かに喉が鳴って頸筋がピンと張る。
「どこが良いのか教えろよ」
「……知らない」
「耳は?」
押し当てるように囁いてみる。舌を入れると身悶えして首をすくめた。
「じゃあ、全部責めてやる」
少し上体を持ち上げさせてタンクトップを脱がせた。喉許から鎖骨へキスを落としていく。窪みに舌を這わせてみる。乳首に口づけて舌で触れる。つんと尖って押し返してくる。吐息。執拗く嬲ると身を捩って、もどかしげに両手で肩を押してくる。俺は無視して腰を押さえつけるように抱いて、片方だけを嬲り続けた。喉の奥から鳴るような幽かな声が頭の上で響いていた。そのうち肩を押していた片手が離れて、冬木はたぶん口許を覆った。きつく吸うと痙攣したようにびくりと顫えた。
「やっぱり感じるんだ」
前歯で甘く呵んで、周辺に口づけて冷まして、もう一度舐めて。暴れようとする足を搦めて押さえ込んで、極力自由を失くして、ただ一点だけなん度も責めた。
「ふ……」
抑えた声。喉の鳴る音。冬木はなぜか頑なに声を漏らそうとしない。抵抗しようともしない。ただピクピク顫えている。酷く蠱惑的だ。嗜虐心を煽る。いつの間にか蛍光灯の明かりは薄れて、暗闇の中で冬木の体を抱いている。声と感触を頼りに。少し長く吸ってみた。吸いながら舌先で弄ってみた。肩をつかんでいる指が顫える。絶え入るような息遣いが漏れる。
「ここだけでイケる?」
「……そんな」
「じゃあ、声聞かせて。じゃないとほかのことしてやんない」
少し置いて、手が転がる気配。もう一度吸う。あっ、と小さな声。俺は唇を離して、もう一方にキスした。
「じゃ、次な」
幾分ほっとしたらしい気配が伝わってくる。脇腹、臍、下腹と順に唇と舌とで撫でていった。ジャージだけ脱がせて、下着は着けたまま。跨いでいないほうの足を持ち上げて、付け根から大腿を舐め上げる。膝の裏を吸うとちょっと顫えた。ここも。舌先で刺激しながら、ふくらはぎを撫でるようにしてさらに持ち上げる。指先で足の裏を撫でた。
「んぁ」
小さく声が漏れる。もう一度。柔らかく土踏まずをなぜると、冬木は全身を強張らせた。
「あっ……あ」
見つけた。擽ったがっているだけじゃない。繰り返し撫でながらふくらはぎにもキスする。踝の窪みを舌でくすぐる。でも違う。逃げようとする足を捕まえて土踏まずにキスした。
「やだ、そんなとこ」
「ここが感じるんだろ?」
舌先を尖らせて幽かに触れ合うくらいに舐める。冬木はタオルケットの端を握りしめている。歯を食いしばっているみたいで、途切れがちな息遣いばかり聞こえる。声が聴きたい。
「我慢するなよ。誰も聞いてない」
「だって」
持ち上げた足をぐっと曲げさせて、空いてる右手を俺は冬木の口許に伸ばした。無理やり拇指を突っ込んで開かせてやる。
「あい……ふあ」
「叫べよ」
そうしてもしばらくはやっぱり我慢していた。ほとんど吐息のような声ばかり。だがやがて耐えかねたように、切なげな喘ぎが混じり出した。
「そう、もっと聴かせて」
絶え入るような声がなん度も響いて、唾液が溜まるのかときどき甘えるみたいに拇指を吸い上げてくる。たまらなくなって俺は指を引き抜き覆いかぶさってキスした。冬木も抱きついてきてしばらく互いに激しく貪り合って、それから息を切らして離れた。
「やばい。お前むちゃくちゃ可愛い」
「なに言って……」
「ほんとだよ。いますぐ欲しい。なあ電気点けて良い?」
目が慣れてきたとは言え暗闇で曖昧な輪郭を捉えるのはいい加減もどかしかった。答えを聞く前に俺は手探りで部屋の明かりを点けた。蛍光灯が瞬く。白すぎる光に一瞬目が眩んだ。
「ちょっと」
「嫌ならカーテン開ける。どうせ誰も見ちゃいないし」
そうすれば外の街灯の明かりが入る。冬木は羞ずかしいようなじれったいような呆れたような(たぶん全部だ)顔をして一度カーテンに目をやり、それから諦めたようにこのままで、と言った。瞳が潤んでまつげが濡れている。白い肌が上気してあちこちに赤く痕が浮いている。俺は着ていたTシャツを脱ぎ捨てて、冬木を下着の上から撫でた。
「あっ」
しっかりと押し上げている部分の形を確かめるみたいに柔らかく撫でていると、次第に冬木の表情が陶酔するようなそれに変わってくる。俺はやっと跨いでいた足から降りて、両膝を立てさせて少し濡れてしまった下着に口づけた。奇妙だった。男の股間にキスするなんて、あり得ない発想だった。それでもいまは自然だったし、下着を降ろさせてのぞいた先端にキスするのだって同じだった。
「角川さん」
抗議めいた調子で冬木が俺を呼ぶ。下着を脱がせてしまって、じかに手で包み込む。ゆるゆると扱いて、今度は根本のほうに口づけた。舌の全面を使って裏側をなぞる。冬木の声の調子がはっきりと変わったのはそのときだった。
「あ、やっ、やだ! やめて!」
明らかな拒絶に俺は戸惑って、冬木の表情を窺った。冬木は泣きそうな顔をしていた。
「……どうした?」
答えはない。俺は冬木を抱き起こして背中を抱いた。耳許に囁く。
「手でするのは?」
うなずく気配。そのまま再開した。ゆるゆると。
耳許に吐息が聞こえる。しがみついた指が強く絡みつく。
「あ……いい」
「イきそう?」
「ん、まだ」
鼻にかかった声で冬木が言う。人さし指で先端を弄るとびくりと顫える。
「はっ」
先走りがこぼれて指が滑る。
「やだ」
「やめるか?」
少し間を置いて冬木は体を離した。俺は動作を止める。さっきみたいに嫌がっている顔じゃなかった。
「角川さんも」
羞ずかしそうに、言って手を伸ばしてくる。左手。弦を押さえる手。俺はハーフパンツと下着をずり降ろして中途半端な格好で冬木の手にゆだねた。恐る恐るのように冬木はそれを握って、ゆっくりと扱いた。目を伏せて、ときどきうかがうように視線を上げる。息遣いがいままでとは少し違っている。
「興奮する?」
俺が尋くと冬木は困ったような顔でそれでもうなずいた。
「冬木、仰向けんなって」
一度不思議そうな顔で俺を見て、冬木は柔順しく横になった。俺もその上から体勢を落とす。
「手、貸して」
左手を取って、二人分、一緒に握りこんだ。冬木が青い瞳を瞠る。
「新境地」
「気持ち良いですか、これ」
「お前は?」
「なんか……なんていうか」
少し力を入れてみる。ん、と冬木がうめく。
「……すごい」
「うん、すごいな」
唇を触れ合わせて、舌をからませた。一緒に手を動かしていると昇り詰めるのは速かった。ほとんど同時に俺たちは達して、俺は冬木の上にそのまま寝そべってしまった。
荒い吐息、二人分。
「角川さん……」
ソット・ヴォーチェで名前を呼ばれる。
「……ん?」
「ベッド、汚れちゃう」
ああそうだ。シーツ敷いてないんだった。力の抜けた手の中で冬木の指がぬるりと滑った。目の前が奇妙なくらい真っ暗だった。電気は点いているのに。開けようとしても目が開かないのだ。角川さん、と冬木がまた呼ぶ。
「……重いんですけど」
うん、と返事したのかどうか。俺の意識は急激に遠のいて、気がつくとPHSのアラームが鳴っていた。俺は俯せのまま、自力で抜け出したのか冬木は横で俺を抱くみたいにして寝ころんでいた。俺は慌てて怠い体をもちあげると、ズボンを引き上げながらPHSを探した。ピアノ椅子の上でそれは鳴っていた。朝八時。眠い。
アラームのせいか、僅かに眉を寄せて冬木は眠りこけている。素っ裸で一応タオルケットだけ無造作にかぶって。隠れていない胸や頸筋に点々と赤い痣が浮いている。記憶が徐々に鮮明になる。昨日(いや今朝だ)俺は冬木と。
「……」
口を開いてみたが言葉が出なかった。酔っていた。完全に酔っていた。そうとも酒のせいだ。でなきゃあんな。
「落ち着け」
やっとでた言葉がそれだ。落ち着けなんて。落ち着いてなんかいられるか。こういうときに煙草を吸うんだろうか。こういうってどういうときだ。酒に酔って男と寝てしまったとき?
「……うそだろ」
結局そんなことを呟いて俺はベッドに座った。振り返って冬木の寝顔を見て、冬木が起きたらなにを言うべきなのか考えた。なにも浮かばなかった。掌がぺかぺかする。その正体に気付いて、慌てて流しへ立って手を洗った。冷蔵庫にまだビールがあるはずだ。いっそ飲んでしまおうかなんて自棄気味になったところへ、
「角川さん」
冬木が目を覚ました。振り向くと寝ころんだままぼんやりとこっちを見ている。
「おはようございます」
「え、ああ、おはよう……」
挨拶を返すしかできない。いま何時ですか、と尋くから八時過ぎだと教えてやる。あの、と冬木は弱々しく言った。
「僕の服、ありますか」
羞ずかしそうに問われて頭に血が上った。ああとかえっととか、言いながら辺りを探す。シャツとスラックスは床の上に畳まれて、タンクトップはジャージと一緒に布団の上、ボクサーだけはベッドの端に落ちていた。下着を拾うのはいまさらながら酷く気まずくてそこ、と指さすだけにした。まったく優しくない。だが気づかう余裕などなかった。再びベッドに座る。座ったというか、崩れ落ちたというか。
気まずい。気まずすぎる。背後で服を着ているらしい気配。上下の下着だけ着けて、もそもそと冬木は俺の隣にやってくる。無言で顔を見合わせた。ふいに、冬木がまつげを伏せる。
青い瞳が翳って、なにやら鳩尾のあたりに異変を感じた。
「後悔してます?」
ぽつりと、冬木は尋いた。俺の答えはぎごちない。
「後悔、ってわけじゃ……」
冬木は目を上げない。いたたまれなくなる。
「……戸惑ってる」
結局それだけ言ったら、冬木はなにも言わずにただうつむいていた。
なにか違うな、と思った。戸惑ってるのは確かだけれど、気まずいとか、酔っていたからなんて言い訳とか、そんなことよりも、もっと違うところにある。
感情というのか、
衝動というのか。
「冬木」
呼んで、冬木が顔を上げるのをまった。
「キスしても、良いかな」
冬木はのろのろと目を見開く。俺はまち続けて、小さくうなずくのを見て、頬に触れた。
唇が合わさると、昂揚が戻ってくる。冬木の指が縋り付いてくる。
冬木は俺のことが好きなんだろうか。
俺はどうなのかと思うより先に、そんな考えが浮かんだ。