彬さんの不倫話。
気怠さと女の香りに浸りながら夢とうつつの境を漂っていたところへすっと尖った香りが迷い込んで、醒めた気分で目を開けた。
スタンドライトのほのかな灯りを受けてなめらかな背中が浮かび上がっていた。なめらかなのは手入れの行き届いた皮膚の下にきちんと肉がついているからで、そのしっとりとした心地は初めて触れたときから男の手を魅了してしまった。決して甘やかされた結果の緩んだ贅肉ではなく、しかしアスリートの鍛え上げられた筋肉とも違う。かつて共鳴器としての美しさを求めて蓄えられたのだろうやわらかな肉の層は、その役目を終えたいまも女の体に女性らしい魅力を与えているのだった。
「……煙草を喫う女は嫌いだ」
己の欲望を捉えて止まない背中に向けて男は言った。女は肩越しに振り向くとゆったりと煙を吐いて、そして笑った。
「そう?」
シーツに突いた掌を滑らせるようにして上体を屈めてくる。豊満というほどではないが形の良い乳房がその動きに連れて、微妙な陰影を帯びて揺れる。
「嫌いなのに寝るんだ」
覗き込むようにして言った、唇の艶が褪せている。もう少し明るければ普段の口紅を塗った姿とはまるで違う色をしているのかも知れない。
「欲しいんでしょ」
手にもった煙草を差し出されて顔を顰めた。
「メンソールは喫わない」
「それで不機嫌なんだ」
クスリと声を洩らして体を起こす。言い返す言葉は出てこなかった。実際火の燃える匂いや芳醇な甘い葉の香気、そして吸い込んだ瞬間の冴え渡るような刺激が恋しくなっていた。もうなん年も思い出さなかったにも関わらず。一度恋しくなると欲求は止まりそうもなかったが、それでも余計な清しさを我慢する気にはならなかった。
起き上がって背後から抱きすくめるように、煙草をもった右手を捉えた。余った手で顎を捉え唇を塞ごうとする。女は応じなかった。
「そんなに嫌いなの」
「ああ」
「でもキスするの」
「悪いか」
女は呆れて、煙草をナイトテーブルの灰皿に押し付けた。それから睨むように男を振り向き、指先で頰を撫でた。
「ほんとうに、まるで子供ね」
クスリ。この女は怒らない。機嫌をとるのも仕事のうちと心得ているのだろう。女としての自尊心のために仕事を犠牲にするようなタイプではない。
そして、それが愛情だと勘違いできるほど男も子供ではなかった。
女が唇を重ねてくる。右手で乳房を撫でながら左手で背中を抱く。しっとりとやわらかい背中が、少しずつシーツに倒れる。仰向けになった女の顔をスタンドライトがまともに照らした。
「どうかした」
挑発的な視線がからかうように見上げた。丁寧に引かれたアイラインは落ちていない。マスカラは少し滲んでいる。
「いや」
手を伸ばして灯りを消した。
意外に綺麗なままの女の顔に、罪悪感を覚えた。手探りで腰を抱き寄せる。唇を重ね貪る。束の間の夢への耽溺を。
"Pausa Perversa"